「私と世界救世教とのつながり」木川統一郎
- 2017.11.01
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私の年齢は93歳(※平成29年11月現在)です。旧制大学の6年間、親友の和田幸太郎君と勉強でどちらが一番になるか競争しました。私は早く国家試験を通って教授になりました。和田君は突如、法律家を辞めて救世教の専従者になりました。ある時、彼が訪ねて来て「お前も救世教に入れよ」と説明がありました。私は教授になってがんじがらめで、そんなことできませんでしたが、その後も何回も、私のところに遊びに来ました。これが、救世教とのつながりであります。
和田君は「明主様の御教えは素晴らしい。しかし、教団の中は御教え通りではない。何かきなくさい臭いがする」と、何もできない無力感に襲われておりました。
これでどうしたかというと、彼が、会長さんたちに対して、「木川を教団の顧問弁護士にせよ」と申し立てをしたわけです。それで、私は教団の顧問弁護士になりました。
内部から眺めてみると、彼の言った通り、“この教団は改革する必要がある”“透明性が必要である”と感じました。「教団がおかしいぞ」という声は、内部でもじわじわと起こっていました。
この時、新生教団(現いづのめ教団)は決起しました。私は、決起に賛成し、当時の松本総長に相談して、鎌倉布教所(現教会)に協力をお願いしました。それで、「いづのめ教団」はできたのです。
立ち上がったいづのめ教団については、訴訟が、二重、三重、四重にありました。解職申請もありました。私たち4名の弁護士は、それを全てクリアしました。
和田君は、非常に高い理想をもっていたわけですけれども、若死にしてしまいました。彼の望みと、夢と悲しみを、私は受け継いでおります。だから、救世教に対して深い愛情をもっております。(特報111号より)
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