「明るく、開かれた教団を願って」 小林理事長(その3)

「明るく、開かれた教団を願って」 小林理事長(その3)

世界中から届くたくさんの励ましの声

 白澤役員は、役員会の席で、私に「理事長は教主様のお言葉は明主様の教えと違うと言っているじゃないか」という発言をよくしていますが、教主様が言われる「全く新しい」は、「一八〇度違う」という意味になると思うのが普通です。

 こうした、教主様の運営に関わること、明主様の御教えに関わることは、私だけの心配事ではなく、日本だけではなく世界の多くの信者さんたちをはじめ、多くの先達の先生方も同じように感じてくださり、多くの励ましの声もいただいています。

規則に従って行われた責任役員代務の任命

 こうして、教団のルールを無視して、教主様の言われるままになっていくこと、明主様の願われる教団が消えてしまうことを危惧した私は、亡くなった前田宗務長、浄化療養中の橘社長、辞表を提出した伊藤部長に代わって、明主様への信仰を大切にする蟹江信徒総代会会長と同じく堀口副会長、そして榊原光一教育情報室長を責任役員代務者に指名しました。以前、石井教団監事がおっしゃっていたように、教主様のいいなりの執行部も、執行部のいいなりになる教主制も、どちらも不健全な状態だと思ったからです。

 その指名に当たっては、事前に教主様に報告するようにと言われていましたが、私の権限によって行いました。なぜなら、役員会の席で、候補をあげたところ白澤役員から、「私たちは反対する。教区長たちも反対している」「さもなければ…」というニュアンスを含んだ反対意見が出されたからです。私は、このままでは、教主様が言われるままの執行部になってしまい、教主様に責任が及んでしまうという危機感から指名をしました。

規則を無視した不信任の署名運動

 規則上、理事長である私に代務を指名する権限が与えられているにもかかわらず、彼らは、それを「反教主」的行動であるとして、現場では私に対する不信任の署名運動が始まりました。それも役員会の決済を経ずに行われたので、規則違反です。

 署名をした教会長の中には、私に電話で「先生、すみません。署名しないと、教区長から圧力がかかって、孤立することも考えられたので、一応署名しますが本意ではないことをご承知おきください」と言ってくる教会長もいました。そんな教会長も含めての署名数ですが。

教主様 、ご入霊、御下付取りやめをご宣言

 八月三十一日には、教主様より「五月度月次祭での執行部の方針を受け入れない一部の信徒の方々との関係を強めながら、執行部の方針から著しく逸脱した行動をとっておられます」として、教主様がご入霊祈願を取りやめ、ご下付の許可を控えると言われ、さらに、九月度月次祭の玉串奉奠、浄霊、挨拶は白澤役員がすることをご指示されてきました。

 このような事実関係から、私は沈黙を破りました。こういう状態を乗り越えていくために指名しましたのが、新たな役員の方々です。その方々とともに「明主様中心の信仰の培い」を通して、本来あるべき神業体制を許されていこうと取り組んでいます。

 さらに、九月十二日の包括役員会に出席しないよう、教区長らからの申し入れ書を使って指示されました。私は、包括の役員である以上出席しないわけにはいきません。それよりも、その理由がよく分かりませんでした。なぜ、出席することを阻まれるのか、当日合点がいきました。

教団がキリスト教的に? 拡がる大きな不安

 九月十二日、包括役員会で東方之光から寝耳に水の大変な報告がされました。それは「教主様の背景を巡る調査報告の記録」というもので、長年に渡り、教主様ご夫妻がMという人物から毎週のように指導を受けられているようだという内容でした。私は、翌日のいづのめ教団の役員会で報告をし、十六日には教区長たちにも伝えました。

 そんな矢先、その日、白澤役員らから「職員の皆様へ」という文書が出されました。内容はご存じのように、東方之光は、尾行、盗撮、盗聴という卑劣な手段で教主様のプライバシーを侵害した。それに小林は同調した。だから小林に断固たる対応をするというものでした。

 彼らの論法は常に単純です。鎌倉教会は、以前にこんな悪いことをした、鎌倉と小林はつながっている、だから小林は悪なのだ。どんなことでも、小林は悪だという結論に結びつけるんです。十分な説明もなく、東方之光や鎌倉教会を悪だと決めつけて宣布する。一方で、教主様に従う自分たちは善であり、社会常識や教団のルールに反した行為でも善だと思いこんでいるのです。

 鎌倉教会と教団は、以前、裁判で争い正義をぶつけあっていましたが、松田先生たちは、教団の将来を思い、訴訟を取り下げ、和解してくれたのです。それを未だに、鎌倉を悪だと決めつけ攻撃する。これは争いのない世界を作りたいとする宗教者がすることでしょうか。東方之光に対しても同じです。東方之光の弁護をするつもりはありませんが、白澤役員の、「報告する前になぜ教主様に真偽を訊ねなかったのか」という主張ですが、これほど重大な問題を審議せず、その行為のみを指摘して攻撃するのは、問題のすり替えであり、事実の隠匿になると思います。

 その「職員の皆様へ」の文書を公に配布することを教主様はご存じのはずです。なぜなら教主様にあるがままを報告し、ご教導をいただいて実践するというのが、彼らの基本理念と行動指針なので、それを行うことは、教主様のご指示と受け取らざるをえません。みな教主様のご指示だからという理由で、何でもあり、怖い物なしという状態になっているのです。

「教団が割れてもいい」と思っている一部の役員

 九月十八日の責任役員会において白澤役員は、その文書を配布したことなどについてこう発言しました。「いづのめ教団の中が割れたとしても、私たちは教主様と共にありますよという意思表明だと受け止めていただきたいと思います」と、いづのめ教団が割れる、つまり、執行部、専従者、信徒が割れてもかまわず、自分たちは教主様に従っていきますということです。また、「懲罰対象であるということは、重々承知しております。これは教団規則に則って進められればよろしいかと思っております。それは役員会の決定でございますのでね」と言いました。白澤役員の言葉と態度は、責任ある役員のものではなく、非常に残念に思います。

 それよりも、私は、白澤役員たちの行為は、教主様ご自身に被害が及ぶと思いました。あの文書を目にした人は、何かとんでもないことが教主様と教団に起きていると感づきます。彼らがその文書を配布する前に、本来は、包括役員会で教主様にお伺いし、審議すべきことだったのです。そんな重大なことを私の糾弾のために使ったわけです。

 また、この包括役員会に提出された「調査報告の記録」について、終了後、仲泊管長、白澤役員両氏によって教主様に報告されているはずです。その時にいただいた説明が、「東方之光が教主様を尾行・盗聴・盗撮」の文書に出ています。もし、彼らの報告が根拠のない批判ならば、教主様は、すぐにでも東方之光の役員を叱責されるべきではなかったかと思います。

世界救世教の教義が御教えから聖書に?

 また、その説明の中で、教主様は、「聖書を通して彼なりに真摯に神様を求めている」、その方と「語り合いを続けている中で、彼が用いる言葉の中身について、明主様にお尋ねしながら思いを巡らせ、これは大切なことだと心から思わされた時には、その言葉を皆様に伝えることを許して下さいますように、という思いで、言葉の源である神様にお返しし、皆様にお伝えしている」と述べておられます。

 ある専従者が、「なぜ教主様は、明主様の御教えの言葉を使わないで、キリスト教の神を求めるそのお友達の言葉を使っているのか」と疑問に感じているようでしたが、この「調査報告の記録」の一端が文書で出てしまった以上、様々な憶測を呼ぶことは必至です。

明主様の御心は、キリスト教化することにあるのでしょうか。御教えに導かれてきた信徒は、裏切られた気持ちになるのかもしれません。  この件は教義の根幹に関わる重大な報告だからこそ、今後は包括役員会において継続審議され、さらに教主様にお伺いして、誰もが納得できる正しい結論を導き出していく必要があると思います。また、この文書によって私がどんなに悪く言われようとも、これが教主様とお話ができるきっかけになれば、浄化を浄化たらしめることができるかもしれません。(特報111号より)