「立春祭のご発言につながったもの」小林理事長(その1)

「立春祭のご発言につながったもの」小林理事長(その1)

二月四日以前の出来事

 今年(※平成29年)の二月四日の立春祭における教主様のご発言以降様々なことが起きました。

それにふれる前に、そのご発言の直接の原因である、私たち責任役員が決定した九つの事項をご覧になっていただければ、その内容が分かると思いますが、それらを決定せざるをえなかった事柄について、まずお話したいと思います。

 それは、平成二十五年十月五日に渡辺先生が帰幽されてから、いろいろなことが顕著になりはじめました。

明主様の御教えを神様にお返しするとは

 渡辺先生が帰幽された翌年の六月三十日、教主様は海外参拝団代表者との懇談会で、「今までの教えを神様から出た教えとして、明主様を通して神様にお返しした方がいいと思います。そうすれば、神様は、我々が始まりの天国において、すでに賜っていた教えを段々と想い出すことができるようにしてくださると思います」とおっしゃいました。

 私は、その時、「明主様の御教えを神様に返す」とはどういうことかと思いました。それは後に分かってきました。

来賓のスピーチについて

 そして、その翌年平成二十七年の四月、岡田茂吉記念館開館のレセプションが行われました。そこでは、ある来賓の明主様の御教えを讃える素晴らしいご挨拶がありました。

 その方は「人を幸せにすることが人間として最も幸福になることである、そういう趣旨のお言葉を、たびたび教団関係者から、教祖のお言葉として聞かせていただいております。世のため人のために尽くしていく、そのことが自分の幸せになるんだと。今、世の中ややもすれば自己中心的、あるいは狭い意味での経済至上主義。そんな時に教祖の生きられ方をもう一度尋ねることは、尊いことだと感じています」とお話くださいました。

 私はその様子を、〝記念館建設のために真心からの献金をしてくださった信者さんたちに観ていただきたい〟とDVDに収めたところ、そのコメントを削除するように教主様からご指示を受けました。

「これからは言ってはならない。やめてください」

 教主様は「人を幸せにすることが私たちの喜び。これはどこの宗教でも言っていることです。こういうことを救世教では、これからは言ってはならない。やめてください」とおっしゃいました。

 私が「これは明主様の教えの根幹にあることです」と教主様にお伺いすると、「いや、『全く新しい』ことをするんですから、こういうことはやめてください」と一喝されました。

明主様からすれば救われる側の人間である

 以前、「季刊いづのめ」誌の一〇〇号に、一〇〇号を迎えたことの感謝を伝える記事を、誌面に掲載したところ、当時の役員と教主様との懇談会において、外部の執筆者について「この人たちは明主様からすれば救われる側の人間である」旨のお言葉があり、その方たちと協調する必要のないことを述べられました。

 明主様を世に拡げよう、それが正しいと信じてきた、私たちにとっては首を傾げざるを得ないものでした。(特報111号より。その2に続く)