「立春祭のご発言につながったもの」小林理事長(その2)

「立春祭のご発言につながったもの」小林理事長(その2)

ジャンボリーにおける紹介。
世界救世教の目的は人類救済と地上天国建設ではないこと

 そして、平成二十七年八月、ボーイスカウト世界ジャンボリーで教主様がつくられた「世界救世教とは」「祈りの言葉」がブースに展示されました。

 内容には、世界救世教の目的が、明主様の聖業である人類救済と地上天国建設ではなく、それぞれがメシヤになることになっていたのです。

 これについては、同年八月に行われた包括責任役員会で、東方之光役員から、教義上の問題があるとの指摘がありましたが、教主様からは、修正する意思はないとの回答がありました。

 その時、私は、「明主様の御教えを神様に返す」旨のお言葉の意味が、かなり明瞭になってきました。明主様を信奉する者として、当然の問題提起であるとして、東方之光の役員とも話し合いを持ちました。それが教主様には気に入られなかったのでしょう。

「私を信じるのか、東方之光を信じるのか?」 「東方之光と接触しないように」

 そして、迎えた九月十七日の教主様とのご面会で、「私の申し上げることを信じるのか、東方之光が言うことを信じるのか、先生がお決めください」「東方之光と接触しないようにしていただきたい」と教主様から言われました。

 私が「あらためてお伺いし、お話をさせていただきたい」とお応えしますと、教主様は、「それは、小林先生の動向を見定めた上で決めさせていただきます」とおっしゃいました。

 私は、どうしたらよかったのでしょうか。私には、応えられませんでした。

 包括責任役員会で審議しなければならない前述のような教義上の問題もありましたし、また、私は包括の責任役員でもあり、美術館の理事長の御用をいただいていたのですから、東方之光との対話や接触を断つことなどできようはずもありませんでした。

接触を断てばまた分裂、争いの霊界に

「教主様を信じます。接触を断ちます」と言えば、救世教が分裂してしまい、また争いの霊界が生まれてしまうと思いました。

 私が教主様とお会いすることができなくなってからは、前田、白澤、川谷役員が教主様との窓口になりました。

教主様の言われるままの執行部

 いや、窓口というより、ご意向を伺い、その場で決定し、実行に移す、教主様の言われるままの執行部になっていきました。そうして、教主様から、次から次へとご指示がくだりました。教主様からは、その三人以外にも、部長、課長、職員にも直接のご指示があったようです。

 十月には、聖地案内ビデオの中に語られた「平安郷の建設が進むにつれて世界布教が発展する云々」は入れてはいけないと。

「『新生』の報道の中で扱う理事長挨拶の内容は十行以内にしなさい。現場の信者さんの活動を紹介する記事をカットしなさい」など、すべて記事の内容をチェックされ、修正を加えられたり、書き直されたりするようになりました。

 昨年平成二十八年の十一月には、美術館リニューアルオープン記念のために制作された『光明』三一八号の配布停止の要請文書が、前田、白澤役員と教区長の連名で提出され、配布禁止になりました。もちろん、教主様のご意向によるものです。

 その月の三十日には、教主様と前田宗務長をはじめ教区長との懇談会が行われ、その内容が後に教会長にも配布されました。十二月二十六日にも教主様ご夫妻と教区長との懇談会が開かれ、教区長たちもいろいろなお話を聞かされたと思います。私も前田宗務長から聞きましたが、教区長さんもいろいろ考えさせられたのだと思います。

九項目の決定に対する教主様のメッセージ

そして、今年一月十五日、臨時合同役員会において、二月四日立春祭における教主様のご発言の直接の原因となった、九項目の決定事項が作られました。この決定は、そうした経緯があってか、主に前田宗務長主導で、教区長たちも積極的に進められました。多分、同じ問題意識を共有していたのでしょう。

 これら九項目、実質的には八項目ですが、これらは正しく「教主中心の神業体制の確立」を願う、当時の執行部の意志の表れでした。

 この決定事項は、一月二十四日に教主様へ報告させていただきました。しかしその翌日、教主様からメッセージが出されました。そこでは、「『何に気づき、何をどう改めるべきか』の取り組みについて」の文書(新生四二一号三面に掲載)の中にある、「どこまでも教主様のみ心に適った運営と信仰実践の道を歩ませていただく」という部分に従いなさい。つまり、「組織の運営もすべて、教主様の意向に従いなさい」という主旨のものでした。

 そうした思いが、二月四日のご発言につながったものと思れわますが、重要なのは、握手の件とか「偉大なる御光」の斉唱だけではなかったことが、分かると思います。(特報111号より)