「教主象徴制の意味とは」相談役 中居 林 先生
- 2017.11.01
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昭和28年から明主様の側近奉仕者として奉職。以後、教団の要職を歴任されていました。特に法務の責任者として200件以上の裁判事案にあたってこられ、教団規則について精通されています。明主様ご在世当時のご法難から「教主象徴」の教団規則改正の経緯、教団の正しい運営のあり方について語っていただきました。
法律はすべての人に
教団役員は当然のことながら、世俗の立場を超えたところにおられる教主様も法律に抵触することは許されません。
例えば、制限速度が四〇㎞の公道を六〇㎞で走れば、違反切符を切られます。
「教主中心、教主様のご指示のまま素直にする」ということは、信仰者として大切な心です。しかし、教団役員、また幹部と言われる人たちは、教主様をお守りすることが、大きな意味では教団を守るということになります。
私ども三人の相談役が、今の責任役員会のあり方に疑問を持ち、教主様に責任が及ぶようなことがあってはいけないと、話し合いに関わるようになりました。
なぜ教主象徴制ができたのかをお話します。過去の教団には、多くの危機的な浄化がありました。
なぜ象徴制ができたか
昭和二十五年のご法難
最初の危機は、明主様が、昭和二十五年に「ご法難」と言われる事件に遭遇されたことです。
私達が神様と敬う明主様が、逮捕され留置場に入れられ、取り調べをお受けになり、裁判にかけられて、証言台に立たれました。そのお姿を当時の信者はどれほどつらい思いで見たことでしょう。
明主様も三代様もご苦労された問題
明主様が、部下の犯した行為に対して、当時、代表役員というお立場だったことから、その責任が問われました。代表役員は、教団の行為のすべての責任を問われます。今で言えば理事長です。理事長自身が何もしなくても、問題が起きればその当事者ではなく、理事長に責任が及びます。
象徴で責任を問われない立場に
このことから、教主様には象徴という立場の、無答責、責任を問われない立場に、教主の座を置いたのが象徴制でした。
さらに三代様の時代、昭和四十四年に二つの事件が起こりました。
一つは、静岡地方裁判所沼津支部で争われた事件で、当時の教団顧問が、その立場を利用して得た情報を元に、教団を告発する本を出版しました。
ねらいは教主様を証言台に立たせること
顧問は、その告発本を元に、教団は医師法違反や税法違反を犯しており、公序良俗に反すると追求し、沼津地裁に教団の解散命令の申請をしたのです。ねらいは教主様を証言台に立たせることでした。
この事件は、当時の弁護団によって勝訴し、問題を乗り切ることができました。
もう一つの事件は、医師法違反が絡む問題で、ある教会のSさん(女性)が、聖地の研修に参加した際、浄化され、浄霊を受けたものの亡くなられました。
その営みで、誰も病院に行かせなかったことや医師の診断を受けさせなかったことを批判し、その親が街宣車を聖地に乗り入れ、「教主を告発する」と訴えてきました。
代表役員の 任命責任も問われた
なぜ教主様が告発されるかというと、当時の教団規則は、代表役員を任命する権限が教主様にありました。その結果、任命責任を問われたのです。
この二つの裁判が同時に起こったのが、昭和四十四年の暮れでした。様々な人の力を借りて、教主様の代表役員任命権を外し、任命責任が問われないよう、象徴制になりました。宗教行為だけに責任を持ち、世俗の行為はすべて責任役員会の決議に基づいて代表役員が責任を負う規則に改められました。
教団としては、明主様のようなことにならないよう、教主様を守る一心でした。昭和四十四年十二月三十日、全国の教会長を集めた会議で議決し、翌年の一月、規則改正が文化庁に認可されました。
その十数年後、教団浄化で三つの教団組織ができ、世界救世教の代表権を争う裁判をやりましたが、和解により、世界救世教(包括法人)の元に三つの教団(被包括法人)がある現在の形になりました。これらの事件を通して、私は教団側に法律的知識がないことを痛感してきました。
私達にとって教主様に進言することは難しいと思いますが、役員は「これは規則に反しています」「これは違法行為になります」とはっきり申し上げてほしいと思います。
教主様といえども、規則違反は許されず、教主様をお守りすることができません。規則の下、責任役員会で運営面はしっかり議論し、みんな仲良く、力を合わせて明るい教団を作ってほしいと思います。(特報111号より)
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