信徒の皆様へ(「今私たちは何を学ぶべきか」序文その3 ※資料ダウンロードできます)

信徒の皆様へ(「今私たちは何を学ぶべきか」序文その3 ※資料ダウンロードできます)

冷静沈着な判断を

 日本国憲法は、個人の思想や信教の自由は国民の権利としてこれを保障しています。信徒の皆さんがいずれの派に属されても、それは自由です。ただ、多くの信徒は何らかのキッカケで明主様にご縁を頂かれ、救世教に入信されたと思います。どうか、各人が入信された時の原点に立ち戻って、冷静沈着なご判断をされるよう切に願っています。

 本資料を読まれるにあたって、私たちが共有しておくべき共通認識について以下に述べさせて頂きます。これらは、御教えと四代様とその意を汲んだ真明氏の言葉・主張を正しく理解し、冷静かつ客観的に問題の本質を見極めるために必要不可欠の共通認識だと考えます。

1・日本国憲法は、思想の自由、集会・結社・表現の自由、信教の自由は、国民の権利としてこれを持つことを保障しています。しかし、組織の長に在る者は、その組織の枠内にある、という制約がつきます。とりわけ、公益性をもつ宗教法人の長、つまり「教主の座」「象徴の座」、に在る者は、その宗教組織の枠内という制約があり、自らの宗教組織とは異なる他の宗教を信仰したり、信者となること、自らの宗教組織の教義を原典・教典に基づかないで、独断で勝手に廃止・変更することは許されません。

2・世界救世教規則第3条は、「この教団は、岡田茂吉を教祖と仰ぎ、その垂訓を最高神の啓示と信じ、その立教の本義に基づき、教義をひろめ、儀式行事を行い、信者を教化育成して、世界の人類を救済し、地上天国を建設する使命を有し、宗教団体を包括し、その他この教団の目的を達成するために必要な業務及び事業を行う」と定めています。

3・世界救世教教規第4条2項には、世界救世教の教義は、世界救世教の原典に基づき世界救世教で編纂した教え(注:天国の礎4編6冊)であることが述べられています。

4・世界救世教規則第5条第1項には、「教主は、教祖の聖業を継承し、教義に基づき世界救世教を統一する。」第2項には、「教主は、信者統合の象徴とする。」第11条には、教主は、教規に基づき管長、理事、被包括宗教団体の代表役員及び代表役員たる者の選任を承認する者を認証することが記されています。

5・教主様が特別であるのは、①教祖の聖業を継承し、教義に基づき世界救世教を統一する責務を果たすべき「教主の座」にあって、世界救世教教規に定められているご神業(教規第7条~17条)、即ち、⑴御神体及びお光りを授与する、⑵祭儀を司る、⑶教義、祭儀及び聖地建設の大綱を定める、⑷被包括宗教団体からの上申に基づき、教師資格の認証などを行う、⑸管長、理事、被包括宗教団体の代表役員及び代表役員たる者の選任を承認する者を認証する、⑹規則、教規及び宗家規定の変更の承認、⑺聖地の処分の承認、⑻世界救世教の合併又は解散の承認、を行う等の権能と職責を有されているからです。つまり、教主様は、「ご神業にあたって、明主様と信徒の中間に立たれ、上からはご神意をお取次ぎ下さり、下からは信徒の信仰の誠をお受けになり、どこまでも明主様に真向かわれている純粋なお立場におられる」からこそ、特別なのです。②教主は、宗教法人世界救世教規則第5条第2項および教規第5条第2項により「信者統合の象徴」とされているからです。「象徴」という意味は、天皇陛下が「日本国及び日本国民統合の象徴」として「日本国憲法に定める国事を行う」という例を挙げるまでもなく、「信者統合の象徴」である教主は、世界救世教教規第7条か第18条によって定められた宗教行為のみを行うよう明確に定められております。つまり、教主は、この教規に定める宗教行為以外の教団の管理運営等に関する権能を有しておりません。

 教主は、教規第9条で教義、祭儀及び聖地建設の大綱を定める権能を有していますが、その権能を行使する際には、教規第4条に規定されている範囲の中で行わなくてはなりません。また、教主は、被包括法人から上申された教師資格の認証や管長、理事、被包括法人の代表役員及び代表役員たる者の選任を承認する者の認証を拒否できないことになっているのです。法令順守、教団の規則・教規の順守は、公益性のある宗教法人のトップである教主には特に強く求められるものなのです。世界救世教は、「明主様の権威」「御教え」「浄霊(救いの3本柱)」で確立された世界です。すなわち、このいずれか一つでも欠ければ、世界救世教は成り立ちません。

6・明主様が「メシヤ」と言う言葉を使われた理由:
 明主様は、メシヤという言葉を使われた理由について、「神の啓示によって『救世教』の名を授かったが、漢字であると東洋に限られるから、どうしても全人類を救うにはそれに相応するような意味を表さなければならない、それが為に救世に「メシヤ」のフリ仮名を付けた。従って、メシヤとは救世の意味だけであって、今後の活動に適合するためのもので他に意味はないので、其の事を茲に断っておくのである。人によってはキリスト教に関係のある名称だから、時局便乗主義からと思うかも知れないが、そういう点は些(いささ)かもないのである」(岡田茂吉全集著述篇第8巻369頁)と「メシヤ」の言葉の意味を明確に説明されています。

以上

資料ダウンロード
「今私たちは何を学ぶべきか」
監修:山本健二
作成:世界救世教いづのめ教団 対策本部事務局